命日

珈琲日和

2013年01月09日 18:28

1月10日で長男の循志くんが旅立って丸2年です。

なんで「命日」って「命の日」って書くんだろうかねえ。

なんだろなあ。


11年前、モカが産まれました。
初めての出産。
長くて、しんどくて、やっと、やっと出て来てくれました。
生まれたての小さいモカを汗びっしょりの腕に抱いた時、
私は心から思いました。

「あぁ、これで私はちゃんと死ねる。」って。

花が咲いて、しぼんで、種を落として枯れてゆくように。

私もようやく花たちと同じ位になれた。

地球の営みの中のほんの一部分になれた。

自然とそんな気持ちになった。



じゅんの目がもう二度と開くことがないと知った時から

くる日もくる日も泣き続けた。

泣かない日がやって来るなんて夢にも思わなかった。

でも、涙もずいぶんと落ち着いた頃、思ったのは

「あぁ、これからようやくちゃんと生きられる気がする。」


子供を産んだ時に「死」を、子供が亡くなった時に「生」の重さを知った。

あぁ、生きることも死ぬことも尊いなあ、って思った。


どこへ行っても、誰に会っても、みんな一生懸命。
人の為に、自分の為、頑張って生きようとしている。
今よりもっと自分に出来ることがあるんじゃないかって。

もっと役に立てるんじゃないか。
もっと幸せに生きられるんじゃないかって。
もっと頑張れるんじゃないかって。
より良い明日の為に。

「そういうのってそんなに大切なんか?」って時々思う。
大切に生きるとか、
何の為に生きるとか、言うけど、
そもそも「生きる」って何なん?

「生きる」って「息してる」っていうごく自然の現象なんじゃん?
意識しなくても吸って吐いてるじゃん
地球の上の物がみんな同じことしてる

ただ吸って、吐いて、生きている。 ・・・現象

地球の一部として。

多分、大切に生きる事は人が言うほど難しくないと思う。



時々目を開いて笑うことすらしなかったじゅんちゃん



ひたすら笑って泣いて大人たちのお世話になっているカズ。



この子達には「生きる」意味の本質があるんじゃないかな。
彼らのしていることの全てが生きることの全て。

何の為に生きるのかなんてことよりも

「何として生きるのか?」

今ある呼吸を、現象を、確かめよう。

そして、その奇跡と神秘を感じよう。

地球の上で息をする命として。

真夜中、子供たちの寝息を聞く時に「幸せだな。」って思う。


明日はじゅんの命日です。

命の日です。

じゅんが命を教えてくれた日。

産まれてくれて本当にありがとう


そんなわけで、皆さんが高価な花束を抱えてご来店してくださることを
密かに期待してお待ちしておりまぁーす!



土、日、限定のあの!ふじりんごのパイ!始まってますよ~